やっちゃいけないフィールドワーク

ホームレス、リストカット、風俗、自慰行為などなど――。気になってはいるけど、 なかなか人には聞けないモヤモヤ…… そんな世の中の「?」を2人の大学生が解き明かす!?

【渋谷・大晦日炊き出し】野宿者のシアワセとは? ASUKAレポ

ASUKAです。
今回は、野宿者と年を越し見つけた、彼らの「シアワセ」を3つ紹介していきます。

 

①闘争

2010年を境に、宮下公園での就寝が難しくなったことに対し、野宿者の方々は抗議の横断幕を設置。

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その際に、ある野宿者の方は高らかに宣言していました。
「横断幕をはがすことは、奴ら(=行政や公園管理会社)にできないはずなんですよっ!」
「警察や公園管理会社の奴らを皆で監視しよう!」
行政を敵視するとき、彼らの目は輝いています。
自分たちは野宿者だ。野宿者として、野宿者の権利を守るんだ。
そのために、奴らと戦うのだ――
彼らの多くからは、そのような気概を感じることができました。
特定の「敵」を作ることは、野宿者にとっても、一種のシアワセとなっているのではないでしょうか。

②生活向上への渇望

20年以上、野宿者の身分で生きている方は言っていました。

「俺が野宿生活を始めたときは、渋谷駅の地下とかで眠れたんだよ!」
「宮下公園は夜間封鎖されっちゃったし、新しい場所を探さないといけないんだよ!」
僕も5人程度の野宿者としか言葉を交わしていないので、一般化はできませんが、
彼らは、より良い野宿生活を渇望しているように見受けられました。
この意識をシアワセと呼ぶに値するか、意見が分かれるところではあると思いますが、
「もっと良い生活を」という渇望が彼に生き甲斐を与えていることは確かです。
ただし、一つ指摘しておきたいのは、野宿者にとっての「より良い生活」は野宿が前提になっていること。
「より環境の良い公園で暮らしたい」
という想いを垣間見ることができても、
「野宿生活を脱却したい」
という語りに出会うことはありませんでした。
もちろん、なかには家のない生活から逃れようと努力している人もいるのでしょうが、
住居での生活をするつもりがない、あるいはそれを諦めているという方々は多いのかもしれません。

 

 

 

③娯楽

ボランティアの会場では、紅白歌合戦がプロジェクターで上映されていたのですが、
森進一が「おふくろさん」を唄っているとき、何人かの野宿者は歌詞を口ずさんでいました。
当たり前と言えば当たり前ですが、
唄を含めた娯楽は、野宿者にも楽しさを与えるようです。
聖子ちゃんや森進一が野宿者のことを想って唄っているかは定かではありません。
しかし、有名なエンターテイナーが、NHKホールの観客から、
小さな公園に集っている野宿者までも幸せにしていることは事実。

 

●最後に ~0.1%のシアワセ?~

「野宿者は不幸な人だ。心の中の99.9%はネガティブな気持ちで占められているはず。
だからこそ、彼らの0.1%のシアワセを見つけよう」
そのような意気込みで、僕は炊き出しに参加しました。
しかし、あらためて彼らの姿を思い出してみると、
彼らのシアワセは0.1%ほど小さくはないように思います。
僕はこれまで、「野宿をしている=不幸」という考えを持っていましたが、
決してそうとも言い切れないのではないか――そんな思いが、自分の中に湧き上がってきました。
大きい家に住んでいる人と、小さい家に住んでいる人で、どちらが幸福かと聞かれれば、誰もが
「大きい家に住む方がいいけど、幸せと住居は関係ないよね」
と答えると思いますが、それと同様、
屋根のある住居がある/ないという変数だけで、「野宿者は不幸だ」と決め付けるのは違うのではないか、と。

もちろん、潤pさんと同様、僕にも依然として彼らに対する差別意識のようなものは残っています。

しかし、今後も彼らを同じ社会の人、同じ人間として見ていく必要があるのではと、現在は感じています。