ホームレスと一緒に年越ししてみたら、
になった。
潤p(以下:P):今日はこの後どうされるんですか?
路上生活者A(以下:路A):いつもの公園まで帰りますよ。
僕らが「家に帰る」というのと同じように語られたその台詞に、
無性に「近さ」を感じました。
どうも潤pです。
プロローグの続き、
「炊き出し行こ」の一言に、
なんのためらいもなく二つ返事でOKしてくれるASUKAさんに大きな敬意を払いつつ、
今回は私、潤pの視点からお届けしたいと思います。
何故炊き出しに参加したのか?
ガキ使に、紅白に、カウントダウンパーティー。
皆んなが盛り上がる大晦日の夜に、何故わざわざ炊き出しに参加したのか。
「自分の中の路上生活者に対する偏見を検証する」
ためでした。
僕は正直なところ、路上生活者に対する差別や偏見意識を拭い去れずにいました。
「堕落した人間なんじゃないの?」
「自己責任だ!」
という考えが抜けず、
言ってしまえば同じ人間として捉えられていませんでした。
でも、それって、一回も話したこともない上で決めつけている偏見であるし、
その偏見が本当に正しいのか、どうなのか、
モヤモヤしたままなら実際に会って確かめてみようかなと。
しかし、普段いきなり話しかけるのはハードルが高いなぁ。
そんな時に、大晦日の炊き出し・越冬は、
路上生活者と関わることができる絶好の機会だったのです。
視点
自分の中のホームレスへの意識変革を、
テーマとして挑んだ今回のフィールドワークで心がけた視点は
「路上生活者の日常にある幸せ」
路上生活者と聞いて思い浮かべるのは負のイメージばかりです。
しかし、そこにもしプラスの側面があったのなら、
どこか自分とも共通するものが見出せるんじゃないかと。
路上生活者が感じる幸せの瞬間、
そのプラスの感情をあえて聞くことで、
あぁやっぱり路上生活者も自分と同じように喜んだり、楽しんだりするんだな。
路上生活者と自分が、同じ人間だと心から思えるために、
路上生活者の幸せを知ることが一番だと考えました。
今回参加した炊き出しを主宰する「のじれん」のHPに書かれている文章に僕の心情と強く共鳴する部分があったので引用します。
ホームレスの方たちは、なぜ路上で生活しているのでしょうか? どうして働かないのでしょうか? 働けないなら生活保護を受ければいいのでは?…このような疑問が頭をかすめながらも、当事者の考えを直接聞くことなく、断片的な情報に基づいて、ホームレス問題について一方的な判断を下してしまっていることが、多々あるのではないかと思います。
思い込みや決めつけをやめて、まず当事者の話を聞いてみること。その上で、必要な支援やあるべき社会のかたちを考えること。私たち「のじれん」は、その原点に繰り返し立ち戻りながら、(のじれんHPから引用)
そんな潤pの偏見意識が、
どんな風にかわったのか、
はたまた何を思ったのか。
次回の記事で綴っていきます!
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